良い病院、良い医師 ―神の手の向こう側―
理事長特別補佐監 兼 執行本部長 低侵襲脊髄手術センター長 水野 順一
先日、比較的小規模な研究会で友人のT先生とお会いし、しばらくお話をする時間がありました。T先生は東京都内の大学病院で勤務されていますが、ときどきご実家の眼科クリニックを手伝っておられます。私も大学病院に長年勤務していて感じたことは、専門の細分化の長所と欠点です。いったん診断が確定し専門的な治療を要する状況になれば、専門医療(専門科)は最先端で適切な医療を提供できます。しかし自分の専門以外の患者さんが訪れてきた場合、ろくに患者さんの話も聞かないでどこか他に行くように言うだけのことが少なからずあるようです。これは6年間の医学教育において、専門医療に偏った教育がなされてきたことによる弊害と感じています。意識的に医学部の教官がその大切さを教えないと、新しい専門的医療知識を勉強している若い医学生には自発的に習得できないのは無理ないことと思います。
以前にこのコラムで“神の手”という題で、拙書を書きました。神の手という言葉は今ではかなり多くの外科医がその対象になってきており、私ですらそのように言われて思わず苦笑いすることもあります。確かに神の手は一流の外科医の代名詞でもあり、そのような医師に手術してもらうことは成功確率の高い治療が受けられるでしょう。しかし神の手は手術という技術的な側面での評価であり、自分の専門ではない患者さんに対する正しい手ほどきをしてくれるのかは疑問です。話がT先生のことに戻りますが、先生もやはり神の手と言われる脳神経外科医です。でも先生が眼科医としてご実家のクリニックで患者さんを診ている時は、さまざまな訴えの方が来られます。街のクリニックは看板(内科とか外科とか)がどうであろうと、いろんな症状の患者さんが行くものです。そんな時きちんと時間をかけて患者さんの話を聞いて、適切な病院を紹介してあげる親切さが実は一番大切なことです。T先生は、1年に何人かは専門が違い大きな病院で入院や手術が必要な患者さんがいると話していました。
患者さんの話に真摯に耳を傾け、適切な対応ができる医師や看護師が働く病院が良い病院です。良い病院には、良い医師と看護師がいるものです。医療は英語では、medical service(サービス業のこと)です。私たちの病院は、そのような親切な医療が提供できるような良い病院をめざして職員一同頑張っています。