震災から1年
総看護師長 橋本 明美
病院の窓から外を見ると、昨年の震災のことを昨日のことのように、いつも思い出します。
平成23年1月1日。私は、青森から単身で総合南東北病院に赴任しました。東1病棟脳神経外科・救急科の看護師長の任を受け、「すべては患者さんの為に」を強化すべく、スタッフ一丸となり体制作りを始めた矢先の3月11日。地響きとともに大きな揺れを体感しました。揺れは長く続き、パニックになっているスタッフに「患者さんの所につきなさい。部屋につきなさい。」と大きな声で叫びながら、自らも重症患者さんに覆いかぶさっていました。患者さんを守っている最中「ここで患者さんと一緒に死ぬかもしれない。」と、かすかに頭をよぎりました。津波被害の知らせが入り、鳴り響く救急車のサイレンの音が野戦病院のスタートだったように思います。
車で逃げる途中、津波にのまれた5人の内の母親と幼児が搬送されてきました。母親は重度の低体温状態で入院し、即治療開始。意識が薄らいでいる中、うわごとのように子供を心配し続けていました。しかし、幼児はすでに呼吸停止、心臓停止状態です。外来がすべて救急センター化した一室で、医師たちは交代で4時間近い心臓マッサージを続け、奇跡的に心臓が動き始めたのを確認し、呼吸器をつけました。4時間もの間、心臓マッサージを行うことは通常ではありえないことです。そして、再び奇跡は起こりました。2日後、幼児の意識が戻り回復したのです。災害から3日後、母子ともにひとつのベッドで休むことができ、障害を残すことなく退院することができました。総合南東北病院は、多くの患者さんを受け入れ、その数だけ、たくさんのドラマが展開されました。医師、看護師、他の職種がチームを組んで、全力で治療・看護にあたれたこと、一人もお見送りすることなく、全員の患者さんを退院させることができたことを私は誇りに思います。総合南東北病院は、これからも地域の方々の為に、あり続ける病院でありたいと考えています。これからもどうぞご愛顧くださりますよう、お願い致します。